7月に入り今年も海開きとなりましたが、梅雨のじめっとした日が続いてますね。
鎌倉では紫陽花やアガパンサスが街を彩っている今日でありますが、さくらに関する和歌や詩についてのお話です。
遡ること5年前、『この世を目覚めさせる音。』公演を行っておりました。公演の中に「散ればこそ」という演目があり、その曲中に唄われた和歌があります。
散ればこそ いとど桜は めでたけれ うき世になにか 久しかるべき
伊勢物語82
現代語訳 桜は散ってしまうからこそ いっそう素晴らしいのです この無常の世に変わらずに続けるものなどありますでしょうか いやない
そして、翌年のWiNGS単独公演での「たえて太鼓のなかりせば」
世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし
在原業平
現代語訳 もしこの世に 桜がなかったら 春の心は どんなにのどかだったことでしょう
この二首の和歌にとても感銘を受けました。こちらについては和太鼓グループ彩HPから葛西さんのヒストリーをぜひご一読ください。
そして、最近出会った詩。坂村真民さんの「今を生きる」
咲くも無心 散るも無心 花は嘆かず 今を生きる
坂村真民
この詩はさくらではないかもしれません。一輪の野の花かもしれません。
生は花のように一心で、死は花のように一切でありたい。今を生きることの大切さを感じる詩です。
太鼓では目の前の一打を一心に打つこと、これに尽きるのではないでしょうか。
まど・みちおさんの「さくら」
さくらの つぼみが ふくらんできた
と おもっているうちに もう まんかいに なっている
きれいだなあ きれいだなあ
と おもっているうちに もう ちりつくしてしまう
まいねんの ことだけれど また おもう
いちどでも いい ほめてあげられたらなあ…と
さくらの ことばで さくらに そのまんかいを…
まど・みちお
さくらの和歌や詩の多くは鏡のように、人生がうつります。
しかし、この詩は人の言葉を脇へ置き、さくらに目が向けられています。
人の言葉では伝えることのできないもどかしさや、さもしさを感じますが、
自然を語るのではなく、自然に近づこうとする。そんな祈りのようなものなのかもしれません。
──さくらはさくら、わたしはわたし。
と、今在ることの有り難さ、存在自体が祝福されているようにも感じ取れる詩です。
人がさくらに対して、さくらや花と、一括りにしてしまう事への申し訳なさもありますが、私たちが一人一人名前を授かっていることの有り難みを同時に感じます。
少し話が逸れてしまいましたが、太鼓でも太鼓に近づこうとすることが大事です。
何事も熟練した人の所作は美しく、身体と道具が自然に調和しているように感じるものです。
咲いたら散る。
そして、土に還る──
いくつか好きな言葉を紹介させていただきましたが、なかなか今を生きるというのは難しいものです。
動画をひたすらスクロールして、スマホにコントロールされる日もあります。
そんな時は、30分に一度でも外を眺めて、気付けるようになりたいものです。
画面の中や、頭の中に囚われずに、
さくらに学び、いつか花ひらくように生きたいものですね。
素意や!

